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コラム

背中が前で 腹が後ろのも・・・なぁに?

 「背中が前で腹が後ろのもの…なぁに?」ドイツの古典的ナゾナゾには、こんなのがあるそうです。答は“ヒトの足”ということです。ふつうナゾナゾというのは、たとえ自分では解くことが出来なかった場合でも、いえ、答えられなかった時こそ、答えを明かされるとその途端「なぁんだ、そうだったのか」と、パッと顔が輝くものです。けれど、このナゾナゾときたら、どうでしょう。答えを聞いて、却って謎が深まりそうな気がします。種明かしの、そのまた種明かしがいりそうです。

 

 そもそも、“足”という言葉からイメージされるのは、どこでしょうか。それ自体、ナゾナゾの材料になりそうなあいまいさを含んでいます。「足のサイズは?」という時は、漠然と足首から先のあたりを足と呼び、「足が長いわね」という時は、木の幹から分かれた枝のように体幹(胴体)から突き出した全体をさしているという具合です。解剖学的には、その全体を下肢と呼び、胴体に近い順に大腿・脚・下腿・足と分けています。そのような厳密さでみると、ナゾナゾの正碓な答えは大腿部で、私たちがふだん“ふともも”と呼んでいるところです。人を正面から(腹側から)見た場合、ふとももの部分は、本来の背中側だというのです。このことは、ヒトの体の仕組みを知る上に大変重要なポイントであり、3億5000万年分の進化の道筋が込められているのですから、なんとも壮大なナゾナゾがあったものです。

 

 下肢の由来は、魚類のヒレに発します。魚の泳ぎの推進力は、体のくねりにありますので、ヒレは泳ぐ際の舵取りです。3億5000万年ほど前、魚類の中のあるものが、陸上でも生活するようになった時から、胸ビレと腹ビレが、体を支え移動するための道具すなわち四肢へと特殊化し始めたのです。初期のタイプの両生類やトカゲのような諸虫類は、四肢を横にはり出して(側方型)、腹をずるようにして移動します。哺乳類になると、たとえばイヌのように、足が胴体の下に回り込むようになり(下方型)、胴体を地面から離したままで移動するのがふつうになります。さらにヒトでは、起き上がった胴体から足はまっすぐ下に伸びるようになります(直立型)。図(I)は、このあたりの事情を大変わかりやすく、ユーモラスに描いています。爬虫類のふとももの背中側に白く描かれている部分が、哺乳類そして人類へと進化するプロセスで、どのように位置的変化をとげているかが見所です。

 側方型と呼ばれる横にはり出した四肢が、下方型へ転換するためには、“大根にさした割箸を横から下に刺しかえるような”訳にはいきません。“側方型では手足の指先が横を向いているから”です。“実際は、肘が後にまわり、膝が前にまわることによって達成”されました。さらに、直立型になる際には、大腿部はさらにまわりこみ、本来の背側か腹側になっています。(文中“”内は「講座 進化④」犬塚則久執筆部、東京大学出版会より)

 

 ここでご注意いただきたいことは、胴体と四肢のつながり方の関係のパターンに変化が起る毎に四肢にはその都度、ねじれが加わっていることです。四肢は、陸上で、より効率よく活動することが出来るよう進化を重ねるうちに、ねじれにねじれ、ヒトの下肢・大腿部では、ついに本来の背中側か腹側へと反転してしまったという訳です。

 

 この絵にであった時、私は小躍りしたいほど嬉しかったのを覚えています。なぜなら、“ヒトの体は正常状態で既にねじれている。一見ねじれが生じたように見える、顎偏位症に伴う全身の病態は、実は進化のプロセスで獲得したねじれが弛んでしまうことにあるのではないか”という、臨床から得た私の仮説を裏付けてくれる、学問上の知見だったからです。

 

 ヒトの下肢の筋肉の走行を、起始から停止へと、矢印で表しているのが図(Ⅱ)です。骨盤から膝にかけては、筋肉の走行が大腿骨に巻き付くかのごとくねじれている様子が描かれています。大腿部内側には、その働きから内転筋群と呼ばれる筋肉がたくさんあります。内転というのは、回内すなわち内側にまわすことです。とくに大腿部内側にある内転筋は、下肢のねじれを維持し、ひいては姿勢全体に影響を持つ重要な筋群です。顎位のずれた人の体では、多くの場合、この筋群が十分に機能しなくなっています。

 この現象は、進化をふまえてみると、下方型から直立型へ変化する時に獲得したはずの大腿部のねじれが弛んでしまったことを意味します。その結果、ヒトの特徴である直立二足歩行のシステムが崩れてしまうのです。そこで、顎偏位症の治療に際しては、ゆるんだネジを巻き戻すごとく、内転筋が働くようにします。

 

 内転筋は、直立した時の重心が狂うと、姿勢の乱れとともに弛みます。重心は、顎位(上顎に対する下顎の位置)ときわめて密接な関係がありますので、正しい顎位で咬み合せが出来るよう、下顎の位置の前後左右のバランスを整えます。咬み合せの低さも、内転筋のゆるみの原因になりますので、咬合高径(咬み合せの上下的な距離)の適正な設定もかかせません。しかも、咬み合せのバランスがとれたからといって、大腿部にある内転筋が、自動的に快活な動きを取り戻してくれる訳ではありません。そこで私の場合は、大腿部内側に低周波機器を用いたりなどして、内転筋の活性化に努めます。顎偏位症の治療に際し、このように咬み合せと身体の双方からアプローチすることは、体の変化に伴う不快症状を軽減するばかりでなく、より洗練度の高い身体バランスを得るうえに有効です。

 

 私は、ここ十数年来、咬み合せの狂いと体の狂いの関係について、関心を持って臨床に当たってきました。体の狂いの実状やその意味するところを知ろうとすることは、同時に、治療目標とすべぎヒトの本来あるべき姿”をもとめることでありました。人類学や形態学は、ヒトが現在のような体の仕組みを獲得するにいたったプロセスを、その必然性とともに丁寧に解き明かしてくれます。それらの学問上の知見の数々は、咬み合せと全身の双方からアプローチして健康に寄与しようとする、私の咬合治療にとって、欠かすことの出来ない道標なのです。

 

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