Column

コラム

咬み合わせ治療と心身一元論

 「体も楽になったけれど、ものの感じ方や考え方も随分変わって、気持ちも楽になりました」という声を、咬み合わせ治療をした方から、よく問きます。咬み合わせや姿勢を変えた結果、体が楽になったばかりでなく生き心地が良くなった、というのです。臨床経験を通して、私の中には、体と心は互いに関連しあう関係、というよりむしろ同じものの2つの顕れというような認識がありますので、咬み合わせ治療を体験した方の感想は、とても自然な実感という気がいたします。それでは、体の構造バランスを変えると、生き心地、つまり精神的な領域に変化が起こるのは何故なのかという話になりますと、現代医療は、物質と精神とは別々なものであるという、デカルト的な心身二元論に立っていますので、なかなか歯切れのいい答えを出世ないのが現状です。

 

 しかし、経験的には昔から、心と姿勢との間に深い結びつきのあることは、知られていました。例えば、ある精神状態を表現する言葉には、それに符号して浮かんでくる姿勢があります。意気揚揚には、背筋が伸びてちょっと反り返った姿勢。意気消沈には、肩を落として丸みを帯びた背中、といったように。自信喪失という精神状態を表す語に符号する姿勢と、自信満々に符号する姿勢との間にも、大きな隔たりがあるでしょう。

 

 これらは、その時々の精神状態と姿勢の符号ですが、基本的な姿勢の傾向となると、今度は性格との符号ということにつながってきます。おおらかな人という言葉からは、肩の開いた開放的な姿勢を連想しますし、卑屈な人という表現からは、首の付け根あたりに癖のある姿勢を連想します。ですから、咬み合わせ治療によって、その方の基本的な姿勢が変われば、その変化が性格にも反映して、その結果、同じ人が同じような出来事に遭遇したとしても、受け取り方や対処の仕方が治療前と違っている可能性は、充分に考えらます。

 

 NHK「課外授業 ようこそ先輩」シリーズ(KTC中央出版発行・風人社編集)に、最近、玄侑宗久氏の巻が加わり、さっそく読む機会を得ました。禅宗である臨済宗の僧侶であり芥川賞作家でもある玄侑宗久氏の授業は、心と体の関係を知ることをテーマの一つとしていました。出身校の小学校で行なわれた授業の内容を、テレビでは放映されなかった場面まで集録したその本の中に、「心というのは、それが入りやすい体の状態におさまるのです、ということは、心は体に逆らえない。(P40)]「心というものはどういうものなんだろう。さっきいろんな姿勢をとってもらって、形に似合わない気持ちは持ちにくいということもわかったと思います。(P49)「体は心を容れる器ですから、その器のほうを整えていこうというのが坐禅という文化なのです。(P10)]「容れ物しだいというところがあると思うのです。体が心を容れる容れ物ですから、容れ物の変化で心も変化してしまう。(P11)]「「背筋を伸ばして空を見上げて、それでも悲しさが残っていれば泣けばいい。悲しい時は自分で悲しみを増幅してゆく姿勢をとってしまいますから。(P12)」など、心と姿勢に関する玄侑氏の言葉がたくさんありました。

 

 宗教家である玄侑宗久氏と歯医者である私とでは、心と体の関係について述べる切り口と語り口は異なっていますが、そこには、精神と物体(身体)を切り離して捉える二元論的な傾向とは異なっている、相通ずる認識を感じました。

 

 印象深い体験や職業的な経験を通して、哲学的な領域に想いを至らせたり宗教的な感受注に触れたりする例は、アポロの乗組員を取材した立花隆氏の本の中にも数多く語られています。宗教というジャンルから提示された「ちょっとイイ人生の作り方」(前述の本の書名)のメッセージに触発されて、咬み合わせ治療と心の関係について、聞きかじりのデカルトと禅に想いを寄せた休日でした。

 

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