誰にでも“とっておきのお気に入り”がひとつやふたつはあるものです。今日は、私のとっておきの“図”をご披露いたします(図Ⅰ)。
この図と出会ったのは、正しい直立二足歩行がしっかりと行える体を目指した咬み合わせ治療を志し、すでに何年か経った頃でした。診療室で患者さんの歩行を観察して、動きの特徴を掴んでは、その意味を求めて本をあたることの繰り返しでした。この図は、そんな日々の中で見つけたもので、その時のうれしさは、今でもはっきりと思い出すことができるほどです。なんとなれば、それは歩行を解析的に観察し始めた頃に得た、“ヒトは今でもお魚なんだ”という個人的な確信を、学問的に裏付けてくれるものだったからです。
“ヒトは今でもお魚なんだ”という言い方は、そのままでは人類イコール魚類ということになるので、それでは、いくらなんでも強引すぎます。そのような表現に至った場面の説明を抜きにしては、何のことやらご理解いただけないでしょう。
ある日のこと、いつものように、診療室で目の前を歩く患者さんの動きを眺めていました。咬み合わせが整い、次第に洗練されてきていたその方の歩行では、頭の位置は上下左右にほとんどゆれなくなっていました。いわゆる、本を載せて歩ける状態です。その一方で背骨は、右左の脚が交互に床を踏みかえるのに伴って左右均等に振れており、その振れ幅は腰のあたりでもっとも大きくなっているのが観察されました。それを見ているうちに、あっと驚きました。その動きはまさに、身をしなやかにくねらせて泳ぐ、お魚の背骨の動きそのものだったのです。“そうか、私たちは今でもお魚なのだ。進化の中で私たちはだんだんに変わってきてはいるけれど、過去の移動様式のシステムを捨ててしまったわけではなく、今でもお魚の時代と同じような体の使い方をそのまま基本としているのだ”と、しばし見入っておりました。このことがあってからというもの、その発見の嬉しさに、“人魚って私たちのことだったのよ”と、友人に会うたび吹聴したものです。
“お気に入りの図”に出会う何年か前のことです。図Ⅰでは、左側に魚類の、右側に両生類のサンショウウオの移動様式を対応させて描いています。
この二つの生き物の間には、進化のステップとしてたいへん大きな差があります。それはいうまでもなく、水の中だけで生活している魚に対して、両生類であるサンショウウオの方は、陸にあがっても生きていられるということです。そういう意味でこの図は、われわれの遠い祖先たちの、一大変換の瞬間を見事に描いています。ヒレは四肢へと変化を始め、脊椎動物の四肢は、この時から地面を蹴り始めました。しかし、移動に伴う脊柱の動きはそのまま引き継がれていったのです。そして、直立二足歩行をするようになったわれわれにおいても、このことは変わりません(図Ⅱ)
私が、歩行を整えていく上に、脊柱のくねりを回復させることを第一にすえているのは、脊椎をS状にくねらせて移動することが、われわれの祖先が陸に上がった時から今日に至るまで、いえ、魚であった時から営々と引き継がれてきた脊椎動物の移動様式の原理だからです。
ある時、人類学者の江原昭善先生にお目にかかった折り、勇気を出して、人は魚だという自説を申し上げてみました。すると先生は、そうですよと、こともなげにおっしゃるのでした。その口調には、バラは植物ですといってみたのと変わらないと思えるほどの当たり前という感じがあって、高名な学者である先生がなんとおっしゃるだろうとドキドキしていた私は、自説の正しさに安堵するとともに、形態学といった学問の世界では、それは共通の認識であるということを知って、ちょっぴり拍子抜けした気分も味わいました。
この図を見ておりますと、臨床と学問を結びつける発見をひとつひとつ重ねることに心を輝かせていた、当時の日々が思い出されます。
(さとう・きょうこ/歯科医師)