ある方の咬み合わせ治療を始めるにあたって、まず考える事のひとつは、治療目標をどこに置くか、あるいは置けるかということです。咬み合わせ治療を受けようと思われる方は、皆、何らかの自覚症状や、検査によって知るところとなった異常を自覚しており、それらの回復を望んでいます。そのような方の中には、“咬み合わせさえ整えれば、すべての病気が、たちどころに治ってしまうのではないか”といった類の、過剰な期待をお持ちの方もあって、咬み合わせ治療によって実現可能な治療目標の設定と、治療を受けようとする方の要求とは、必ずしも一致しないことがあります。
私たちの体は、工業製品のような規格品ではないので、本来あるべき姿を回復するといっても、一人一人がそれぞれに違います。その上、たいていは、何十年もの間、“使用上の注意”の守られていない使われ方をしてきているのですから、“新品”になれようはずはありません。長い間、ずれたまま働き続けた顎には、そう簡単にはもどらない変形が生じている場合があります。背骨や骨盤、股関節にもひずみがこもっています。その他にも、ストレスや食生活、これまでに罹った病気やけがの影響など、数え上げたらきりもない要因がからみあって、現在の体になっている訳ですから、咬み合わせさえ整えれば、すべての病的症状が、跡形もなく消えてしまうという程、事は簡単ではありません。
しかし、それならば、咬み合わせ治療は意味がないかというと、そうではありません。咬み合わせにも、基本的な仕組みがあり、このことは、現在では、かなり詳しく解明されてきています。そして、咬み合わせの基本を整えることによって、身体の基本的な仕組みが整い、いろいろな症状が軽減するということが、近年になってわかってきたのです。それは、咬み合わせを整えれば、すべての症状がたちどころに消えるというのとは違いますが、咬み合わせ治療によって消えて行く症状、軽くなる症状が多い、というのも事実です。
例え話になりますが、私が「さて、今日は、夕食に酢豚を作ろう」と決めたとします。ある日はニンジンが無いとか、またある時はタケノコが手に入らない場合だってあるでしょう。それなら今日の夕食に、酢豚はもう、絶対に出来ないかというと、どうでしょう。レストランならそうかも知れませんが、私達の日々の糧は、家庭で作られるおそうざい。ニンジンが無くたって、あるいはタケノコが欠けていても、“今日は酢豚”。これでいけるのが、おそうざい(生活)というものです。
歯科医院を訪れる患者さんも、充分な条件をお待ちの訳ではありません、歯科医は、与えられた条件を出来得る限り、有効に生かして、可能な限りの回復を目指すのです。それを私は、“おそうざい咬み合わせ治療論”と、呼ぶ事にしています。
佐藤 恭子
KAZESAYAGE No.28 風人社