3年くらい前のことになりますが、日系アメリカ人のカール西村という歯科医師の研修会に参加したことがあります。この方は、歯科の分野としては歯列矯正がご専門ですが、たいへん興味深い治療を併用しておられました。
それは、ヒトの体にこもっている心身のストレスを手放させていく方法の一つでした。体には、過去に受けたケガの体験や精神的な出来事の体験が記憶されており、それらが現在の体のひずみや痛みの原因の一つとなっている、というようなお話の後で「実際にここでやって見せましょう」ということになりました。
何人かの希望者の中から、20代の男性が体験することになりました。カール西村が、その方に「どんな症状がありますか」と尋ねると、「首にも肩にも腰にもというように、体のあちこちに痛みやだるさがあって、精神的にも暗くなりがちだ」ということでした。
先生は、その方を背もたれ付きの椅子に坐らせ、まず首を前後に曲げさせ、一番痛いところで首を止めて、そのままでいるよう言いました。次にはその位置から左右にまわさせて、これも痛いところでそのままの姿勢でいるよう指示しました。手や足についても、挙げたりまわしたりさせて、その都度、痛いところで止めさせていくうち、椅子にかけた体は、普段の暮らしの中では見かけないような折れ曲がり方をした姿勢になりました。しかも、首や手足のそれぞれが、一番つらい位置を要求されての姿勢ですから、ストレスの塊とでもいう状態で苦しそうでした。
さて、このようになったところで、先生は、「頭のてっぺんがら、可能な限り高い音域の声を出しなさい。もし声が出なければ、イメージの中ででもいいです」と、指示しました。この時に、にこもっているものが抜けていくということでした。
一通り終えた後、先生は「治療中どんなことを思い出しましたか?」と尋ねました。すると、その人は、「まず両親の離婚を思い出しました。次には、これはすっかり忘れていたことですが、小学生の時に、釘を足で踏んで、その釘が足の甲まで突き抜けたことを思い出しました。それから……。」と、次々に挙げていきました。そして、「途中はすごく苦しかったけれど、今はずいぶん楽になった気がします」と結びました。
私は、その体験談を聞きながら、二つのことに共感を覚えました。一つは、“心身の体験は、本人の表在意識が思い出せないものも含めて、体に記録されている”ということ。もう一つは、“体に受けた傷に対しても精神的な傷に対しても、体は同じように対処している”ということです。私も、咬み合わせ治療において出会う患者さんの体について、同じ印象を持っています。
日常臨床の中で、ケガをしたことのある患者さんの歩行を観察しますと、“傷は治っているけれど、その記録は今も体に残っている”という場合がほとんどです。ケガの痕が、硬さや歪みとなて、機能障害として残っているのです。たとえば、アキレス腱にケガをした方の歩行を拝見すると、アキレス腱が硬いために足首関節の柔軟性が損なわれ、カカトが床からリズミカルに離れてくれません。そのことが膝の関節の動きを制約し、腰に負担をかけ、ひいては全身の生体力学的アンバランスを引き起こしています。
このような場合には、半導体レーザーが大変すぐれた威力を発揮しますので、何分かのレーザー光照射でアキレス腱の硬さを解除しますが、その後で歩いてみた患者さんは、一様に足が軽くなった、歩きやすくなったと驚かれます。その時の皆さんの表情の中には、開放感や爽快感があって、そんな姿を拝見していると、生体力学的なアンバランスが解消された時に、わたしたちは心身ともに解放されるのであり、そこに至って初めて、傷が癒されたといえるように思います。
咬み合わせという口腔内力学は、全身の生体力学と相互に関係しあっています。咬み合わせのアンバランスが、体への影響に留まらず、精神面にも大きなダメージをもたらすことがあるのはなぜか。咬み合わせのバランスを整えることが、時に精神面のバランスを回復することにつながるのはなぜか、ということを考えていく上に、生体力学的アンバランスを心身両面の、今だ癒されずに残っているストレスの記録としてみていくことは確かな治癒へ向けて一つのヒントを与えてくれるように思います。