Column

コラム

富士山の見えない頂上を見つめて -咬合治療のゴールとしての人体について-

 咬み合わせのバランスを整えることによって、いろいろな病気が治ることが、近年注目されてきています。私たち歯科医院を訪れる患者さんの中にも、口が開かなくなった、顎が痛いといった、顎に直接関係した症状ばかりでなく、一見顎とは関連がつかみにくい全身の症状や、検査値の異常の改善を求めて来られる方が増えつつあります。

 

 そのような方の中には、すでに病院で治療を受けてきたけれど回復が思わしくないという方もおられ、いきおい咬み合わせ治療に対する期待も強くなります。しかし、口の中の条件、全身の状態からして、必ずしもどなたにも理想的な咬み合わせを作れるわけではありませんし、全身のひずみをすべて完全に取り去れるものではありません。

 

 私は、「今ある全身の症状が、全て完全に消えて、まったくの健康体になる」という治療目標を“富士山の見えない頂上”と呼んでいます。この治療目標は、富士山を眺めて裾野の延長線の交わった点としての頂上を求めるようなものであって、現実の富士山には三角形の頂点にあたるような頂上はありません。人の身体も同じこと。何十年か生きていれば、いえ、もっと若くたって、全身に何一つ病気やひずみのない身体なんてないのですから。

 

 それでは、治療の成果とはどのように考えるべきものでしょうか。ある方の今の状態が3合目であったとします。それが、治療によって7合目とか8合目まで行けるとします。これをどう評価するかということですが、私は次のように考えています。

 

 もし、治療の効果を完全な健康体(“富士山の見えない頂上”)とくらべて、「まだ、あの症状が完全に消えていない」「症状の中にはあまり変わっていないのもある」といった具合に、ありとあらゆる症状について減点法で考えたら、なかなか満足できません。しかし、治療のはじめより良くなっている症状も、また多いはず。そして、そのようないわば3合目から8合目までの効果が、他の方法では得にくく咬み合わせ治療によって得られるとするなら、私は咬み合わせ治療をする価値が充分にあると考えています。

 

 しかし、ちょっと矛盾した言い方に聞こえるかも知れませんが、咬み合わせ治療にたずさわるものは、現実には存在しない“富士山の見えない頂上”を見つめている必要があると考えています。

 

 治療という行為を通して生体を導いて行くためには、目標となるべきヒトの体の全体像を、施術者が把握していることは何よりも大切です。その姿とは、人が人類として共通に備えているべき構造と機能という普遍性です。この普遍性とその許容範囲を知ることによって、目の前の一人一人に固有の特徴か、治療の対象とすべき病的状況であるのか、その方の個性として視野に収めて差し支えない範囲であるかの判断がつくのです。

 

 “咬み合わせをいかに構築すべきか”というテーマは、“ヒトが種としての構造と機能を維持するために、咬合はいかにあるべきか”と言い換えることができます。私か人類学や形態学などに興味を持つのは、これらの学問が、治療のゴールとして目指すべきヒトの普遍的な構造と機能の理想のイメージを与えてくれるところにあります。それはアカデミズムを通して初めて見出すことのできる人の姿であり“富士山の見えない頂上”として治療者が常に見つめていなければならない治療目標です。

 

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